プロへの道
多くの方の支えと最高の環境でプロゴルフファーを目指した日々
起業家の榎本考修です。
今回は僕がプロを目指した修行時代のお話です。
高校3年生、最後の全国大会に猛練習の末、出場できました。(結果は、書くほどではありませんでした。)
出場選手には、プロで活躍中の宮里優作さんなど、けた違いに上手い人がたくさんいて、刺激された僕はプロへの思いが高まる一方でした。高校卒業後は大学からのお誘いを辞退して、父の紹介で埼玉県入間市のプロのもとへ弟子入りしました。
半年間、住み込みでお世話になりました。今振り返ると本当にともて有意義な時間でした。
ただ、現在ならどこかのゴルフ場に所属してプロを目指す道がありますが、当時はゴルフ場の受け入れ態勢が整っていない時代だったため、両親から「大学に入って試合に出たらどうだ」と言われ、大阪学院大学に編入させていただきました。
入部後はゴルフ場の近くにアパートを借り、キャディーのアルバイトで生活費と学費を稼ぎました。編入から卒業まで、学生というよりゴルフ場に勤めている感覚の3年半でしたね。練習できる日は、朝4時半から練習場を開けていただき、猛練習。そして夕方になったらコースを回らせてもらう・・・。プロを目指すにはこの上ない最高の環境でした。
プロとして食べていけないとわかったとき
テレビ中継されるようなプロの大会は、それはもう華やかな世界です。しかし、そこに至るまでには過酷な戦いがあります。私のようなプロ志望者は全国に多数いるのです。予選の予選、そのまた予選から勝ち上がらなければ、その華やかな世界にはたどり着けません。
想像以上に、努力だけで報われる甘い世界ではなく、「そこそこ」の結果ではプロ失格。
私には父との約束がありました。
「25歳で一度立ち止まって考える」
25歳。現実を直視して、熟考した私が出した答え。
それは、クラブメーカー「ロイヤルコレクション」への入社でした。
プロ担当としてクラブメーカーのツアーバンに同乗
ロイヤルコレクションは、自社ブランドをプロに使用してもらうという手法でメディアへの露出度を高め、創業からたった10年で使用率を格段に向上させた会社です。「フェアウェイウッド」が有名です。人手不足だった「ツアープロ担当」というポストで僕は入社しました。ツアープロ担当とは、プロが出場するツアー大会に同行し、クラブのシャフトを変えたりロフトを調整する係のことです。選手側から注文されることもあれば、こちらから提案することもあります。いわば、クラブの相談役です。今も現役で活躍中のトッププロ谷原秀人選手を担当して、全英オープンに同行したこともあります。その時の谷原選手の結果は5位!その時は、自分のことのように嬉しくて、達成感と充実感でいっぱいでした。今でも連絡を取らせてもらっていて、兄貴的な存在です。
わずか1万円で夢の起業!
2年間ツアープロ担当を経験し、その後27歳の時に起業資金わずか1万円で起業しました。
起業する時の初めての作業が社名を決めることです。
僕は「IMゴルフ株式会社」という社名を最初に考えました。IMは父が営んでいたゴルフバック刺繍が人気の会社である「IM刺繍」からもらいました。ゴルフはコミュニケーションツールになると思っていたし、とにかく僕の得意分野だから事業の軸になるはずです。
しかし、会社の未来・将来像を描いた時、僕には商社やグループ企業にしたいというイメージが強かったのです。例えば不動産やITなど色んな事業部があってもいいじゃないかと。だから「ゴルフ」に限定しない社名「アイエム株式会社」に決めたのです。
起業後、10年ほどはゴルフの仕事に集中していましたが、ここ最近は他の業種に携わる機会が増えてきて、当時描いた未来が現実になってきている感覚があります。