自己紹介
プロゴルファーから起業家への転身
はじめまして。プロゴルファー出身の起業家 榎本考修です。
少し長くなりますが、まずは自己紹介します。
僕は1979年に大阪市で生まれました。
両親と兄、そして僕の4人家族です。
幼いころの僕は、真面目にプロ野球選手を夢見ていた根っからの野球少年でした。
そのプロ野球選手になる夢は、PL学園中学校の野球部に入ったときにもろくも破れました・・・。
PL学園と言えば、甲子園常連の学校です。野球部には全国から選りすぐりの選手が集まり、その一挙手一投足に僕はプロという道の厳しさを知ったのです。
話せば長くなるので、詳しくはいずれまたの機会にします。
中学で野球の夢が破れたままPL学園高校にあがった時、ゴルフと衝撃的な出会いをしました。迷うことなく即、ゴルフ部に入部。実はゴルフ未経験者で入部できたのは、僕が初めてだと思います!なぜゴルフ未経験だった当時の僕がPL学園高校のゴルフ部に入部できたのか、、、それは別の記事でご紹介します。
ゴルフ部員になったとき、その時がプロゴルファーを目指すいばらの道のスタートでした。高校2年の夏の終わりに、その時、プロの道について普段は物静かな父親が一つの提案をしたのです。「25歳までにプロとしての芽が出なければ一度立ち止まってどうするかを考える」ということでした。
その時は何となく、まぁ、25歳になるときにはプロゴルファーとして活躍しているだろうし、、といった感じで気軽に二つ返事で「わかった」と約束し、その後は特に気にも留めませんでした。
高校を卒業してからも、プロを目指す新たなゴルフ修行が続きました。当時はJGTOのツアー参戦を目指す予選大会に挑む日々でした。そして時はあっという間に流れ、25歳の誕生日を迎えた僕はふと、父親とのあの時の約束を思い出しました。そして僕は本当に一度立ち止まって考えたんです。
そしてこの結論にたどりつきました。
「ゴルフに関わって何かをやってゆく」
資本金1万円でアイエム株式会社を設立
25歳でツアープロでやってゆくことを断念したものの、実は未練が残っていました。悔しい思いがありました。僕は根が負けず嫌いだから。でもプロ志望から方向転換したとき、頭の中の考えは切り替わりました。最初はクラブのクラフト技術を学び、ツアープロの相談役として再出発でした。2年ほどやってから満を持して、ゴルフ総合サービス アイエム株式会社を立ち上げました。
当時は資本金1円で会社が作れるとうたわれ始めた時代でしたから、すぐに資本金1万円での起業に至りました。社名は、家業の屋号にちなんでいます。両親がやっていた会社は、ゴルフバックに名前を刺繍するIM刺繍という会社でした。
そこからIM→アイエムにしました。そのまま使うのは気が引けたのでカタカナにしました(笑)。今でこそ、ゴルフバッグに自分の名前を入れるのは珍しいことではありませんが、両親がその仕事を始めたときは画期的なことで全国から注文がくるほど。
僕の幼少期、家族みんながとても忙しく働いていたことを憶えています。
さて、話を元に戻しましょう。勢いでアイエム株式会社を作ったのは良いけれど、実は何をするか決まっていない状態でした。ただ、会社を立ち上げたときに、一つのイメージは持っていました。
「ゴルフをコミュニケーションのツール」と考えよう、そして将来的にはしっかりとした商社にしたいというイメージ。だから社名にゴルフの文字を入れたのは必然だったんです。
でも、自分の好きなことをビジネスにする、それは簡単にできるようで難しいことですよね。それでも走り始めればなんとななるものです。
起業から1年、はじめてのメガヒット
起業から奮闘すること1年、運命的とも言えるクロマックスボールを発売します。キラキラボールと言えば、ゴルフをしている人ならご存知ではないでしょうか。あのボール、勝手に売れて、いつの間にかヒット商品になったのではありません。
売るため、売れるためにさまざまな仕掛けを組んだのです。
様々な仕掛けが功を奏して、発売からわずか2年で累計100万球というメガヒット商品になりました。
この時に得た、ヒットするノウハウと全国に約3000軒の販売店というネットワークが、今の僕にとって大きな大きな財産になっています。その後はさまざまな起業とのコラボ商品の開発やゴルフスクールの開業、LINE@正規代理店など、怒濤のような日々を邁進しています。
自己紹介が、思ったより長くなってしまいました。今後ともよろしくお願いします。